迎合するな。書きたいことを書け。あちこちに余計なことを書くな。卵の話に集中しろ。
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相変わらず卵は直立不動でテーブルの上に立っていて、相変わらず中身は完璧な完熟卵である。とはいえ、昨日眼が覚めた頃くらいから、僕の頭の中にある卵の映像は少々の変化を見せた。めまいショットを繰り返しているのである。
めまいショットは、僕が生まれる1年前に死んだイギリスの映画監督アルフレッド・ヒッチコックが、その名も『めまい』という作品(原題は<Vertigo>)で採用した映像表現手法である。おそらく——少なくとも僕の希望的観測によれば——『めまい』はめまいショットが使われた世界で初めての作品である。1958年に発表された後から現在に至るまで、映画やドラマ、それにアニメーション作品においても広く使われているテクニックがそれだ。
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めまいショットはしばしば登場人物の一人をバストアップの画角で映しながら使われることが多い。また、とりわけ彼、彼女は主人公またはヒロインである確率が高い。もしかして、そういう映像を見たことがあるかもしれない。めまいショットがいざ始まると、観ている側にとっては、フォーカスされている人物にカメラが近寄っている、あるいは離れているような感覚を抱くのだが、実際の映像では人物の大きさは変わらずに、背景だけが広がって観える。単純なズームインでも、ズームアウトでも、カメラの寄せでもないその映像に頭がクラクラすることもある。まるでめまいだ。ちなみに、このテクニックが使われるのは時として、登場人物の心理状況を観覧者に投げかけるのが目的だったりする。だいたい彼、彼女は恐怖心を抱いていたり、複雑で神妙な気分だったりする。
めまいショットを撮影するのは案外簡単なことだ。ズーム機能さえ付いていれば、家庭用のビデオカメラでも出来るし、なんとか頑張ればスマホの動画撮影でも可能かもしれない。まず、めまいショットでフォーカスしたい対象物を決める。協力してくれる友達がいればその人を廊下に立たせてみよう。もしくは、テーブルに置いてあるマグカップを見つけるだけでも良い。ある程度、画角を見定めた後、いよいよめまいショットを開始する。カメラを持ちながらゆっくり対象物に近づくと同時に、カメラを操作しズームアウトさせるのだ。タイミングがうまく合うとめまいショットが完成する。寄るんだけどズームアウトしているおかげで、対象物の見た目は変わずに、とりわけ後ろの背景だけが変化する映像になる。これが種明かしだ。
僕の頭の中の映像では完璧な完熟卵に対して完璧なめまいショットが繰り返されている。卵の背後に映るテーブルの天板や、その向こうに配置されているこげ茶色のキッチンテーブルが、じわじわと広がっている様は少々不気味だが、それがあまりにも完璧なめまいショットのためにある程度の心地よさを感じる。この映像を撮影するカメラマンがいたとしたら、相当腕の良いカメラマンであるか、使っている機材が優れているのか、そのどちらかか両方だろう。さて、このめまいショットの映像は卵の描写としてどのような意味があるのだろうか。ヒッチコックが描いた高所恐怖症の主人公が抱く<恐怖>といった類いの感情をこの卵が持っているかと言えばそうでもない気がしてる。
完熟卵とめまいショット——少なからず、彼は僕に何かを訴えかけようとしている。
このように卵の映像は微々たるものであるかもしれないが、変化をしている。そのうち、完熟卵の殻がメリメリと音を立てて割れるかもしれない。もしかして、空に飛び立つかもしれない。結末は分からない。だからこそ、僕は完熟卵を観察し続ける。
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めまいショットについて書いていたらめまいがしてきた。