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Channel: ゆーすけべー日記
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ワンダーフォン #09

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何度も繰り返すが、これは2008年に起こった話だ。

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サキが受講している情報処理の課題の締切である2月14日までの1週間、僕は藤沢の遠藤にあるコメダ珈琲に通った。こういう時にフリーランスという勤務形態は便利である。土日も含めて毎日サキと顔を合わせることとなった。朝起きて、午前中の<集中タイム>を終えて昼食を済ませると、プジョーに乗ってコメダ珈琲まで行く。運転しながら、彼女と作っている課題のゲーム<ジャバシックパーク>について考える。こういうことを思考している時間が僕は好きだった。難しそうな問題を与えられると、「それは難しそうに見えるだけだろう」と勘ぐって、問題を整理する。大抵の場合、それを解決するための新たなる問題が雪だるま式に発生するのだが、一個一個丁寧に着目していく。並べられたりんごに付着した泥を落とすように問題解決について思いを巡らせるのだ。一時間ほどかけていくつかのピカピカなりんごが仕上がる頃、コメダに着く。必ずサキが喫煙席のボックスシートを陣取っているので、僕は彼女の対面に座り、アイスコーヒーの大きいサイズを注文する。課題に取り掛かる前に、彼女は前日に僕と別れた後から今まで起こった「近況」の報告をした。湘南台のツタヤでバイトをしている。昨日、大学の同級生の男の子がやってきた。私は彼のことを憶えているけど、たぶん、彼は私の存在を知らない。彼がアダルトビデオコーナーに入った。何を借りたかは分からない。こういう時に対応するのは男性店員だと決まっている。彼には興味がない。だけど、同級生がどんなビデオを観るのかは気になる……。ある程度、彼女がお喋りに満足すると、僕は堰を切ったように「プログラムを書かないと」と彼女を急かし、課題に取り掛かった。

彼女は飲み込みが早かった。あるいは早い方だった。まず、僕が口頭で今日やる、もしくは今日やれたらいいなと思う段取りを説明する。ボタンを表示してみましょうとか、ボタンが押されると次の画面に遷移させるようにしようとかそういういったことだ。「それってどう作るの?」とサキが聞いてくるので、簡単なヒントを与えてあげる。このライブラリの、このメソッドを呼び出すんだよ。しばらく黙ったままMacBookの画面とにらめっこしてから、彼女はホームポジションがずれたタイピングで、いくつかの文字列を打ち込む。「えー、やっぱ出来ない。タカシさんこっち」と手招きされるので、席を立って、彼女の隣に座り、僕が答えをエディタに書いてあげる。決まって、「あ、すごい動いた!」と大声を出すので、毎度周りの客——特に彼女と同じキャンパスに通うであろう大学生——に見られたらなんとなく気まずいと僕は思ってしまう。それでも、サキは一度、僕が教えてあげると(そのプログラムの書き方に限り)再び同じ質問をすることなく、その機能を使いこなした。煙草が吸いたくなると、彼女の隣を離れ、元いた場所に座り、次にやる段取りを紹介する。

それを繰り返していると、締切の前々日におおよそプロトタイプと言っていいほどのものが出来上がった。立ち上げるとゲームの紹介文が表示されて、ボタンを押せば次の画面に移り、選択画面になる。どの選択肢を選んだかによって最後の画面表示が変わる。
「なんだかしょぼいわね」
二人で並んでMacBookの画面を眺めながめているとサキがぼやくように言った。
「しょぼいけど、一応ゲームとしては成り立っている」
「だけど、全然かわいくないわ。そうね……私はもっと恐竜感が欲しいのよ」
「恐竜感」という言葉気に入ったらしくて、なんどか彼女は呪文を唱えるように繰り返した。僕はそれを聞きながら腕組みをして考える素振りをした。恐竜感という言葉は思いつかなかったが、彼女が満足しないことは予想していた。
「ねぇ。イラストを描くのは得意?」

2月13日、つまり課題提出の前日は出来上がったゲームの骨格をベースに、それを演出する作業を行った。パソコンで絵なんか書いたことがないわとサキは言ったが、ペイントソフト上にはなかなか可愛らしい恐竜の赤ちゃんの絵が出揃った。僕はネットから無料で使える効果音の素材をいくつか探してきて、画面が切り替わる度にファンファーレが鳴る細工を施した。もうその頃になるといくつかのコードを僕が書いていた。サキが書き溜めたの恐竜のイラストをエイヤッとゲーム画面に描画出来るようにすると、演出の作業は完了した。
「すごいわ。ゲームっぽい!恐竜感もあるわ」とサキははしゃいだ。
「これで、君は単位を落とさなくて済む」
「そうね、これなら平気よ。それどころか、なんだか私、自信が付いちゃった」
「プログラミングに?」と僕は訊いた。
「ううん。明日、ゲームを提出すると同時に授業中、作ったゲームをプレゼンしなくちゃいけないのよ」
「プレゼン?そんなのするのか」
「うん。だから私、作るからにはかわいいものを見せたかったの」
「プレゼンの準備はしなくていいのか?」
「大丈夫よ。時間は短いし、ゲームを見せるだけでいいの。それに私、人前で話すの、実は得意なのよ」

会計をしていると、いつもはそそくさ帰ってしまうサキが僕の後ろに突っ立っていた。
「明日も同じ時間にここへ来れる?」と彼女は訊いた。
「うん。来れるけども」と僕は答えた。
「お礼がしたいわ。大したことは出来ないかもしれないけれど。それじゃあ、また明日ね」
そう言うと彼女は振り返り、重厚そうな扉を両手で勢い良く開いて、凍える寒さの暗闇の中に消えていった。

プログラムが完成した安堵感と、考えるべき問題を失ってしまった寂しさを感じながら横浜の家に帰った。シャワーを浴びて、ツボ押し棒で背中やら肩やらを刺激しながら、なんとなくサキのことをずっと考えていた。お礼ってなんだろう。別に要らないのにな。でも、なんだか楽しかったな。……彼女は僕のことをどのように思っているのだろうか。

一瞬、取引先からの電話だと思った。バイブ音が甲高く鳴った。せっかくJavaで作り直したのにまた仕様変更を言われるのではないかと疑ったが、杞憂だった。携帯電話は光ってもいなかった。その代わり、ワンダーフォンが震えていたのだった。


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