僕がコメダ珈琲に着いて喫煙席を見渡すと、サキはボックスシートに座ってホットコーヒーを飲んでいた。下はロングのコットン生地のベージュのスカートに、上はふわふわと起毛したネイビーのセーターを着ていた。どちらもいい感じに着込まれている印象で、古着屋で売ってるほど色褪せているわけではなかった。彼女は昨日出会った時と同じようにMacBook Proを広げ、Javaの本を眺めていた。傍らにはパーラメントの吸い殻が三本入った灰皿が置かれている。僕の顔を見ると「来てくれたのね」と丸い眼を細めて笑った。大きな涙袋が印象的だった。
僕はアイスコーヒーが運ばれてくると訊いた。
「で、バレンタインデーまでの課題ってどんな課題?」
「このJavaっていうのでゲームを作れって言われているの。私、ゲームなんてDSのポケモンをちょっとだけやったことがあるだけよ」
「僕もゲームは苦手だよ……そうだな、スーパーファミコン以来やってないね」
「私と同じようなものね」
「うん。それで、君はどんなゲームを作りたいの?」
「作りたいゲームなんてあるわけないじゃない。とにかく課題を提出するためのテイを整えたいの」
僕は腕を組んだ。
「うーん。君は昨日『Hello World』を済ませたプログラミング初心者だ。それに僕らはゲームをあまり好きではないし、僕もプログラマーとはいえ、ゲームを作るのはそれほど得意ではない。けれども、君は一週間後にゲームを完成させなくてはいけない」
そういうと僕はマイルドセブンを一口吸い、顔を上げて煙を上に吐き、それから彼女の方を向いた。頬をわざと膨らませる仕草をして、サキは言った。
「そういう言い方すると、なんだかすごく困難なことに立ち向かうみたいね」
「状況を整理しただけだよ。つまり——なるべく簡単に作れて、そこそこ見栄えのいいゲームを作ればいいんだ」
「そんなゲームってあるの?」
「分からない。でも、それをとにかく考えるんだ。手を動かしてプログラムを書く前にね」
「間に合うの?」
「こういう時は焦っちゃいけないんだ。どう作るかじゃなくて、何を作るかが重要だからね」
サキは首を傾げて訊いた。
「それってあなたの仕事でもそうなの?いつもそんなことを考えているの?」
「うん。常に楽をすることを考えている」
「面白いわね。そういうIT の仕事って難しい……そうね、何て言うのかしら——テクニック?の勝負だと思ったけど違うのね」
「僕には残念ながらそのテクニックがないんだ。だからいかにして問題を簡単に解決するかをまず考える」
「それはなんだか素敵なことに思えるわ」と彼女は真顔で言った。よく見ると茶色い瞳をしていた。
「じゃあ、今日はそれを一緒に考えてちょうだい。私が一週間で作れて、楽しそうなゲーム」
僕らは腹が減る時間までの間、一箱分の煙草を吸って、ドリンクをおかわりして、お互いのMacBookを閉じたまま、どんなゲームを作るか話し合った。彼女が「こんなのはどう?」というアイデアを頷きながら聞いて、僕は頭の中で因数分解するように工数見積を瞬間的に行った。そのゲームを作るのは彼女にとって可能か不可能かを判断していたのだ。おおよそ、ネタが尽きる頃には、3つほどの実装プランが出来上がったから、それをサキに伝えると「いつの間にそんなこと考えていたの?」と驚かれた。結局、画面に出てくる選択肢を選んでいくと<恐竜>が成長するという、でっち上げの育成ゲームのようなソフトウェアを作ることになった。これなら、簡単な条件分岐だけで済む。ちなみに、彼女はどうしても「恐竜」がいいと言った。
夕食の時間なので、その場で食事を取ることにした。僕は網焼きチキンサンドを、サキは僕の勧めでビーフシチューを食べることにした。
「あら、ほんとにポテトサラダが入ってるわ……私、ポテトサラダって実家で嫌というほど食べさせられたから、最近食べたことなかったのよね。でもこれ美味しいわ」
「言っただろう。コメダ珈琲のビーフシチューはうまいんだ」
「その通りね」
「で、ソフトの名前はどうする?」
「名前?」と大きな声を彼女は発した。
「うん。作ったものには名前を付けてあげないと可哀想だろ。それにプログラムの場合、その名前を元にファイル名を付けたりする。君のことを僕はサキと呼ぶように何事も名前がないと不便なんだ」
「名前ねぇ、考えてもいなかったわ。恐竜にちなんだものがいいわね」
「そうね。君が好きな恐竜」と僕は言った。
「うん。お兄ちゃんのお古の図鑑を読んで好きになった恐竜」
「そういえば、<ジュラシックパーク>のラストに君が今使ってるMacBookでも採用されてるUnixっていうOSを女の子が使うシーンがあったな」
「ジュラシックパークは見たことがあるわ。けど、そんなの覚えてない」
「僕も大して記憶にないよ。けれどこんな感じだったと思う。映画の最後、恐竜が襲ってきて、施設を脱出しなきゃいけないのに扉が閉鎖されている。その時、女の子が突然『私、Unixなら使えるわ』と叫んで、操作パネルのパソコンをいきなり操った。彼女がコマンド打つと扉が開いて脱出に成功するんだ」
「なんだかすごい女の子ね」とサキは言うとビーフシチューの皿にスプーンを突っ込んだまま、しばらく黙って考える仕草をした。僕が網焼きチキンを食べ終わる頃、彼女は眉間に寄ったシワを解放して、言った。
「ねぇ、ジャバシックパークっていう名前はどう?」
ゲームの名前がジャバシックパーク<javassicpark>に決まって、夕食の皿が下げられると、僕らは解散した。昨日と同じように彼女は「自転車で来ているから」と言って、僕が彼女の分まで会計をしているとそそくさと去った。
*
それからバレンタインデーまでの間、僕はワンダーフォンの存在をすっかり忘れることとなった。