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Channel: ゆーすけべー日記
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ワンダーフォン #11

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この不思議な電話にまつわる物語(それに加えて、完熟卵についての考察)は一切の推敲や辻褄合わせを行わないで文章に残している。過去に書いた<節>に文句があろうとも放っておいている。登場人物の名前が紛らわしいからという理由で置換して修正することもしていない。頭の中で思いついた事実が、過不足ある状態でそのまま表現されていると言っても過言ではない。それをある意味(僕の頭の中で起こってしまった)ノンフィクションと捉えることが出来るかもしれないし、丸裸になって渋谷のスクランブル交差点を歩く姿を僕は妄想しかねない。  

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おおよその物語や文章はそれを(エディタやもう広く使われていないであろう原稿用紙に)書き表す時間と同程度の、もしくはそれ以上の時間をかけて加筆され、無駄な部分が削られる。リズムを整えるために文言を修正する。冗長なエピソードが見つけたら、カットアンドペーストして、よりスタイリッシュなものに変える(カットされた文章はほとんど使われることはない)。描写を加えたい時には、自らに問いを投げかける。「そこでは何が起こったの?いつのことだった?何が見えた?何を感じた?……」と。文芸書や新聞に連載する際にも——もっともそのようなことが出来る立場の人物は限られているが——推敲という作業は少なからず行っているだろう。でも、この文章の場合はどうだろう。実に<生>に近い。いや、ほぼ<生>である。

一方、ファーストインスピレーションが大事なケースがある。……と、書いておきながら<ファーストインスピレーション>という言葉が広く使われているのか気になって、Google検索してみたが、トップにはYahoo!知恵袋のQ&Aが引っかかった。GoogleのIMEの候補にも当然の如く出てこなかった。おそらく一般的な言葉ではあるまい。まぁとにかくファーストインスピレーション——文章を書く段においては、真っ先に浮かんだ言葉の集合——はとても大切に扱わないといけない。なぜなら、それこそが起こったことそのものだからだ。

Mr.Childrenのタブ譜が書かれた分厚い冊子を開きながら、コードをかき鳴らすだけの伴奏をコピーするのに飽きている頃、ペンタトニックスケールを発見した。ジミー・ペイジのリフを改造しながら、オリジナルの<手癖>を作り出し、ひたすら、気の向くままに15Wのマーシャルのアンプから雑音を鳴らしていた。——自由。例えるならば、こういうことだ。僕らはソロを弾きたければ、ペンタトニックスケール内の音を適当に鳴らせばいいし、スケールを外しても良い(ジャズっぽくなったり、和風になったりする)。中にはご存知の通り右手で弦を抑える人もいれば、歯やマキタのドリルでピッキングするギタリストもいる。無論、曲を作りたければCメジャースケールの簡単なパワーコードを組み合わせれば作曲が出来る。

自由を発見した時に感じるあの感覚を長い間、僕は忘れてしまっていのかもしれない。けれども、発見された自由はもう二度と(僕自身において)発見されることがない。歳を取れば取るほど、発見出来る自由は少なくなる。

さて、自由であればあるほど、ファーストインスピレーションに頼らざるを得ないのだろう。書くことに限らず、曲を作る際にも、ジャムセッションをする時にもそれは通ずることである。一度書いてしまった文字列は、遂行し終わった文字列に比べてインパクトを失っているケースが多々発生する。直せば直すほど(細かい表現を含めて)論理崩壊することもある。それどころか——それは当然のことだけれども——ファーストインスピレーションがなければ物語は進行しない。稀にこうした文章を見せた後に訊かれることがある。「意図はなんだ?」と。僕はそう問われると言葉に詰まってしまう。<意図>なんて最初から全く考えていなかったからだ。ファーストインスピレーションに赴くまま、起こってしまったことを書いただけだ。いや、正確に言うならば、その文章は書かれてしまっただけのことだ。

書きたいから書く。だから時たま(このように)脱線をする。


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